2009年04月 / 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.22 (Wed)

自我を物語の次元に落とし込むという意味

何か、眠気が訪れないのでこないだの続きでも考えてみることにします。

その前に近況。
大学の健康診断したら胃かいようか胃炎と言われました。 まじですか。
あと血圧が119-67だった。差が少ないほどやばいみたいな話をちらっと聞いたのですが・・・
全ての食べ物は塩・味噌・醤油で和えれば食べられると主張している私にとって
血圧関係はとても切実な問題です。

時間割

1.なし
2.最適化理論
3.情報工学実験
4.情報工学実験
5.知的財産権概論


なし の予定


1.ベンチャービジネス概論
2.計算理工学第一
3.情報工学実験
4.情報工学実験
5.教育相談


1.なし
2.言語処理系論
3.オペレーティングシステム論
4.数値計算第二


1.プログラム言語論
2.アルゴリズム論
3.ヒューマンインターフェース(1個休んだけど取れるのか?)


やっと、情報科らしくなってきました。


それで、こないだの続き
(かなり危ない思考が入っています。どん引き注意。)


やっぱり、主人公=自分 という感情移入のやり方にハードルがあると思い始めた。
そもそも第三者視点で語られるものってどうやって感情移入するんだろうか。

たとえば、物語という次元があるとするじゃないですか。
そうした時自分はどこにいる?

私の感情移入のやり方は、
そのままその次元に入り込み、その次元にいることに違和感を覚えない。

常々危険だなーとは思っているんですが
ギャルゲーなんかやってるとき、たまにそれが画面だという認識が飛ぶんですよね。
自分が文章を読んでいるという感覚も飛びます。
ただただストーリー・演出が体の中に浸透していく感覚。
たまにハッとなって、あぁ今自分は画面見てるんだっって現実に戻る。
3次元であることをもう忘れてるんです。

画面を見て、文章を読む という部分がいつしか欠落していって
目の前で起こったものを解釈して、感じるだけになるって言ったほうがわかりやすいでしょうか。

やばいですよね。ええ、自分でもそう思います。
でも、映画とか見るときってたまに
たくさんの観客の中で見てるんだっていう感覚が飛びますよね
あの感じに似てます。

話はちょっと脱線しますが、先に言ったその3次元であることを忘れる感覚
これの発生に大きく寄与しているのが、グラフィックです。
私が執拗なまでに背景CGにこだわり続けるのは、そこに違和感があると
”感じるだけ”の境地に至れない。それは創作物だという認識が頭の片隅にい続けてしまう。
また主人公の言動が自分の感情にそぐわないとそれも違和感として残ってしまいます。

感情移入とかそういう生半可なものではないんです。
感受性が最高まで研ぎ澄まされて、五感という感覚の区切りがなくなり、
ただ感じることだけに身を委ねてる。そんな状態です。

画面の中に入りたいとはよく言ったもので、
自我を物語の次元に落とし込むという意味でならそれは達成可能です。

考えてみれば、自分をこの境地に至らしめる作品=良作
と無意識のうちに認識している気がします。


自分は上記のような感じなのですが、やはり
アニメ全般を含め、その他もろもろの群像系作品を楽しむためには
物語という次元よりもう1つ上の次元に自分を置いて
そこから物語を観ることが肝要ではないかと思います。

まぁ私のようなタイプでも、自分を物語に落としきらずに
宙に浮かせながらつまみ食いのできる器用な方ならどんな作品でも楽しめそうですが・・・。

自分は主人公モノのゲームをやることに特化した体になってしまったのか、
ただ中二病が抜けていないだけなのか。
難儀な体になってしまったものです。

一応続きませんが、自分にどうして好きなアニメがあるのかについて
語るときがあるかもしれません。
またこうしてちょっと眠れない夜なんかに考えてみたいものです。


>yukiさん
多少なりでも賛同頂けたのなら嬉しい限りです。
現状は形に縛られてますが、そう遠くない未来には
動画の配信・視聴スタイルは大きく変わると思います。
ものぐさな私でも視聴できるような形になってくれると嬉しいのですが・・・。

>a-sighさん
長文ありがとうございますw
たしかに住み分けるべきで、住み分けするなら私は確実にアニメを見ない層なのですが
アニメを見てないとネタについていけてない遅れた人みたいな
そんな風潮だけがつらいところです。
アニメーターや声優は好きで、ラジオ展開は楽しめてるだけに余計にです。
スポンサーサイト
04:18  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.16 (Thu)

04月16日のココロ日記(BlogPet)

いい実行を抱き枕にしたら気持ちいいですかねぇ……

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
07:30  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.12 (Sun)

私がアニメを見ない理由?

なんで俺ってアニメ見ないんだろうねって話が延々と続きます↓

前提として、私は萌え系オタク(以下オタク)である。
これは間違いない。

何でオタクなのか? と聞かれれば、まぁギャルゲーが大好きだから。
あと左カラムにもある通り、声優さんに魅力を感じる。

でも、アニメって見ないんだよね。

一般からすれば、オタク=アニオタ的な風潮が昔からあるけれども
アニメを見ていないオタクっていうものがどれぐらいいるのか。
一般的な視線の前に霞んでいるだけで、わりといるのか。
それとも本当にそんなヤツはマイノリティなのか。

実際、多くても少なくてもいいんだけれども、
少なくとも私の交友関係内や、オタクばっかりのうちの大学を見ている感じでは
「別にアニメとか見ないですけど・・・」
みたいな感じのヤツは皆無。というわけで、私の中ではアニメを見るという動作は
人間が息をするみたいにオタクがすることだと感じているわけ。

大体、業界全体での流行り廃りもアニメというジャンルが大きく比重を占めている。


ま、ひとまずアニメを見るという行動について考えをまとめたいと思う。

私がアニメを見ない理由の1つとして、アニメを見るという動作がだるい
というものがある。
中でも私がもっとも感じることは

何故30分もテレビの前でアニメを見続けられるのか。

アニメを見る際、私自身30分テレビの前にいられない。病気だろうか。
これは貴重な30分という時間を捧げるに値しないと脳が判断してしまっているのか
私がただの注意欠陥障害者なだけなのか

後者はまぁ可能性としておいておくとして、前者については
少なくとも私が愛してやまない3つのアニメがあるという点において否定したい。
それでも、そのアニメが好きでなければ30分など到底許容できない。
しかしながら、アニメを見ている人間というものは”今期のアニメ”を網羅していたりするし
批判しつつもなんだかんだで見ているという例を腐るほど見てきている。

別にそんなに好きでもないアニメを見続けるという行動原理が
少なくとも今の私には理解することができなかった。

極端な例を言ってしまえば、番組が始まってOPが流れてすぐのCM
このCMの時点ですでに見るという動作に飽きる。だるい。
あの1分だか2分だかの時間で他のCS放送なんかをザッピングしてしまって
気づいた時には別の番組が見たくなっているなんてざらにある。
(私が基本的にザッピングしたい人という理由もあるが)

あと行動についてもう1点、

毎週毎週同じ時間にテレビが見られる環境でかつ30分の時間を取れる
なんて奇跡みたいな状況は存在しない。

別にアニメを見ている人全員がニートというわけではないのはわかっているけれども
毎週放送するものを見続けるという精神力はどこから来るのか。
少なくとも私はよく忘れるし、家にいないことだって多い。
家にいても30分という時間を取れなかったりもする。

うちにはビデオデッキしかないが、録画すればいいと人は言うかもしれない。
だが、今の私は録画をしようという行動が働いていない。
それは、一度も見たことがないシリーズを録画してまで撮るわけがないから当然といえばそう。
また、録画してもそれを見る時間の工面や、親兄弟と同居ではテレビを使える時間も限られる。

アニメを見るということは、とても敷居の高いものに感じてしまう。
だが、息を吸うごとく見ている人間が多いというのが現実であるし、
不思議なところ。

違法にあがっているものを見ればいいと人は言うかもしれないが
ニコニコにはもっと面白い動画があったり、誘惑が多く負けてしまう。



それじゃ、次は作品の中身について
中身について私が疑問に感じているのは13週にかけてやることによって
ストーリーが分断される。
一話完結型ならよいのだが、続きの内容は1週間後 という点は耐え難い。

要するに物語の主導権が見ている自分にないことが苦痛で仕方がない。
そこら辺は構成作家の腕なのかもしれない。
完結することが決定している作品で、続きを知りたい時に知ることができないなんて
現代あるサービスとして致命的な欠陥だと私は考える。

また極端な話をすると、未完成ならまず発表すべきではない。
あと”クール”というわけのわからない単位に縛られすぎている。
クールは作品をつまらなくさせる要因のひとつであるようにも思う。

4話の作品があっても10話の作品があってもいいでしょう。
文庫本だって全て同じページ数ってわけじゃないんだから。


あとこれはゲーム人間だからかもしれないんだけど
別にキャラが動く必要性はない。
照れる動作 なんてものは、 照れ立ち絵で保管可能。


と、ここまで書いて自分が群像劇嫌いなだけかもしれないと思い始めた。
ひとまずおいておく。

原作アリの作品がもう最近では殆どだろうけど
原作を知っていればアニメを見るかといわれれば、それはノー。
最近エロゲー原作のものも増えていますが、
そっちでは好きでもアニメには一切興味が沸かなかった。

逆に、原作好きの人間がアニメを叩く事については納得ができる。
アニメのライター?・構成作家?の持っている作品感と、
そのユーザー自身が持っている作品感が一致しないことがその原因でしょう。


私の考えではアニメってのは、オタク業界最大の宣伝場。
あらゆるハードから人気っぽいものを持ってきてそれを宣伝する。
だからついていけば、あらゆるハードの表面上のネタにはついていけるようになる。
という感じ。
アニメ原作で面白いものも当然ありますが・・・。


ちょっと続きの考えがまとまらないのでつづく


アニメを見る人ってどうして、進行の主導権のない作品を読み進められるのか。
どなたかにご教授頂きたい。
04:45  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。