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2006.07.17 (Mon)

ニーチェ?

今日は珍しく休日午前起床。
とりあえずCvi4を1プレイ。
昼を過ぎてそろそろやばいと思い、化学のお勉強。
3時から楽天×オリックスをテレビ中継するNHKに感動し、それを見ながらまたお勉強。夜までお勉強。

今日END。

なんてつまらなく、素晴らしい1日なんでしょう。休日に沢山お勉強するなんて久しぶりかも。。
夏休みはこれと似たような”お勉強しましたテンプレ日記”になりそうな予感。毎日田んぼの真ん中に行くだけですから。ぼくのなつやすみ?浪人生編?が5日後からスタート・・・・・・。

ふらっと7/3?7/9のゲーム売り上げを見てみましたが、相変わらずマリオの独壇場。さらに、マリオ213万、もっとDSトレ270万、DSトレ250万、どうぶつの森291万本と任天堂の”シェアは携帯ゲームに移行した”との読みが今のところ完全に当たってます。
7/3?7/9では2位がゼノサーガ?。
ゼノサーガのサブタイトルは何故ニーチェなんでしょう?
これって真剣に考えたことある人がいるのかなぁと思い検索すると、制作者のインタビューは冊子などになっているため入手できず、とある掲示板で語られているコトがちょっと興味深かったです。
スレッドを立てた人のモノを引用すれば

<永劫回帰> die ewige Wiederkunft=G. (ハイパー辞書より)
 ニーチェの根本思想。あらゆる存在は意味も目標もなく永劫に繰り返されるが、この円環運動をあえて生きる決意をする者は生の肯定に転じている。

らしいです。?のゲーム内では永劫回帰にツァラトゥストラという読みを与えているようですが、やはりこれを考える上ではゲームをプレイしてみないとわからないのでしょう。
以下はゲームをプレイしていない人の戯れ言。

まぁ結論から言えばニーチェの作品のタイトルをまんま使っていたりとニーチェを意識しているのは、ゼノシリーズの根幹にある部分の内容と後期(ショーペンハウアーの影響を脱した後)のニーチェの”永劫回帰思想”を重ね合わせているからでしょう。

?がなぜツァラトゥストラなのか。
上記が答えですが、まずツァラトゥストラでのニーチェの永劫回帰思想(深淵の思想)についてちょっと考えてみます。ハイパー辞書の引用で済ませればいい気もしますが、あえて言い換えれば
無限の時間の中で有限のエネルギーが(離散や集合などをして)いかなる配置になろうと、かつてあった全く同じエネルギー配置が現れる。
という考え方で、これは直接運命決定論を表すモノです。ツァラトゥストラの第三部「幻影と謎」の章でのニーチェの語りだしがそれを上手く表現してます。
引用すれば

この瞬間という名前の門から、一本の長い永遠の道が、後ろの方へ続いている。我々の後ろには、すなわちひとつの永遠がある。およそ走りうる一切の事物は、既に一度この道を走ったはずではなかろうか? およそ起こりうる一切の事物は、すでに一度起こり、行われ、走りすぎたはずではないか?

つまり繰り返せば、自分が今から何をしてもそれは”過去”に行われた事象の繰り返しにすぎないという完全なる決定論を意味しています。
ですが、ニーチェはこの中に”自由”を見ています。ニーチェの本文からの牧師の比喩は端折りまして、ハイパー辞書の引用をもう一度読み返すとよくわかると思いますが、
これから起こる事象は全て過去の事象の繰り返しであり決定的だと認めた上で、自らがどの事象の繰り返しとなるのかはそれは自由意志に寄り、自己の意志によって決定論に自由を見るのです。
その意志こそが必然であると同3章で匂わせる文章もあります。これがニーチェの行っている永劫回帰でしょう。サーガシリーズよりむしろギアスの方がこれに近い思想な気がします。

次にニーチェがツァラトゥストラに至る背景について少々。

ニーチェがショーペンハウアーの悲観主義的哲学の著作である『意志と表象としての世界』から多大な影響を受けているのは周知の事実です。ニーチェはショーペンハウアーのいう”意志”を”デュオニソス的なもの”、”表象”を”アポロン的なもの”としてショーペンハウアーの思想を受け継いでいます。
ショーペンハウアーは短編エッセイの中で事象の因果関係の全ての原因を”生への意志”であるとしています。
思うに、この”生への意志”というのはショーペンハウアーより前の哲学者であるシェリングの”根源的自然”の考え方に近いモノがあります。根源的自然というのはすなわち、神が究極の存在ではなく神の根底となるモノが存在するということで、わかりやすく言えば神を思う意志も”根源的な自然”のなせる業ということです。
で、何が言いたいかと言うと、この”生への意志”についての考え方の転換期がツァラトゥストラなのだということです。”デュオニソス的なもの”つまり”生への意志”ですが、これが”表象”と対立するというのがショーペンハウアーの思想でした。ですが、ツァラトゥストラでは”生への意志”が”アポロン的なもの≒表象”自体を内包するという立場に立っています。

そんな背景の元に作られた作品ですが、これが何かゼノサーガと関係するかといえば・・・・・・・・・全く関係しないでしょう OTL

結局は永劫回帰思想から?タイトルを読み解くことができそうです。ショーペンハウアーの思想からの離脱というツァラトゥストラの背景まではゼノシリーズでは考えていない模様。

唯一気になるのがニーチェの言葉ばかりが先行している点で、ニーチェの思想というよりもその言葉の利便性によってのみにサブタイトルが決定されているという点です。
実際、ニーチェの思想自体を組みほどいていった場合 力への意志と永劫回帰思想との関係性は哲学界でも物議を醸していますし早々並べて使えるモノではないと思います。
サブタイトルへの引用はいささか疑問です。

余談ですが、?の?力への意志?について考えてみますと、『力への意志』に触れた事がないので妄想のさらに妄想ですが
ニーチェの言う”力への意志”は、”生への意志”の言い換えでしょう。アポロン的なもの自体を内包する意志の事を”力への意志”と読んでいるんだと思います。?は完全にプレイ済みですが、根源的自然などを意識させる記述はありませんでしたし至って普通の作品でした。

?の善悪の彼岸は私には判定不能でした・・。

ゲーム相手になに哲学しちゃってんの、と言われそうですが
個人的には哲学的なモノの表現方法の一つとして、ゲームもありじゃないかと思います。そういう作品は結構好きです。
ゼノサーガは来年辺りにプレイするでしょう・・・きっと。


>asighさん
返信は全然問題ないですよ。
パワプロ開幕版は体験版ですからww
コナミもこれ売れなくなると困ると思うので、開幕版ユーザー(テストプレイヤー)の意見を聞いてしっかり修正してくると思います。
むしろ今までの決定版よりも期待できるかもしれません。
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01:56  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

■確かに…

確かにニーチェの言葉だけ流用するのはなんかアレですね、芸がない。
じんぼく |  2006.07.17(月) 02:23 |  URL |  【コメント編集】

■でも

ニーチェの言葉を使い続けるのは、不透明にせよ端的に製作者の意図を伝えるのにいいと思う。哲学云々語る前にゲームとして利益出さなきゃいけないし、ゼノギアスが売り上げ悪く続編作れなかった事を考えると・・・。

あと、俺も哲学的な面をゲームでするの大賛成。けど、それってゲームとして楽しんだ後じゃなきゃ・・・。サーガはシステム面でギブアップ。

イド |  2006.07.17(月) 21:58 |  URL |  【コメント編集】

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